なぜ、ここで使役を使うのか。(その2)
さて、前回のお題。
上記テキストの第1課「音楽と音の効果」
の本文の冒頭の文の分析。
———————————————————
疲れた時、寂しい時、ストレスがたまった
時に、音楽を聞いて、気持ちをリラックスさ
せるという人が多い。
———————————————————
「なぜ、『リラックスさせる』と、
ここで使役を使っているのか。」
わかりましたでしょうか(^_^)
ここで、まず最初に考えるべきは、
「そもそもどういう時にヴォイス表現を
使うのか。」
ということ。
日本語教師の勉強をなさった皆様で
あれば、お分かりいただけるでしょう。
それは、
【視点の統一】
です。
「視点」とは、誰の立場で書かれて
いるか、ということ。
「視点の統一」とは、有り体に言えば
「主語を固定する。」
ということです。
そうすることによって、読み手に
とって分かりやすい文になるわけ
ですね。
そうすると、問題の文
———————————————————
疲れた時、寂しい時、ストレスがたまった
時に、音楽を聞いて、気持ちをリラックスさ
せるという人が多い。
———————————————————
の
▼疲れた
▼寂しい
▼ストレスがたまった
▼音楽を聞く
の主語は何かを考えてみてください。
答えは、「人」ですね。
なぜなら、主節の主語が「人」だから
です。
主節で「人」を主語として出しているので、
従属節ではいちいち言わなくてもわかるよね、
ということで省略されているのです。
となれば、
▼気持ちをリラックスする
の部分も、主語を「人」に揃えなければ
なりません。
間違っても
「気持ちがリラックスする」
などと書いてしまったら、主語が
「気持ち」になってしまうので、
読み手は、
「あれれ、なんか違和感。」
となるのです。
かくして、「人」を主語にして
(しかも分かりきっているので
省略して)
「(人が)気持ちをリラックスさせる」
としなければならず、それに伴って
使役表現を使うということなのです。
いかがでしょうか。
極めてロジカル、論理的。
少なくとも、前回ご紹介した
「そりゃ、自分でリラックスさせたい
と思うからでしょう。」
という曖昧模糊とした説明が答えに
ならないのは、お分かりいただけると
思います。
今でもときどき、
「日本語の文法は非論理的。」
という人がいますが、
(個人的には、そういう人には、
「日本語の文法書を300冊読んで
から言え!」と言いたい。)
それは、日本語の文法が非論理的
なのではなく(実際すこぶる論理的)、
その人が、論理的に説明できない
だけ、ということが往々。
少なくとも私たち日本語教師は、
いつでもしっかり説明できるように
しておきましょう。
それでこそ、プロ。