卒業式当日。先輩教師が担当の留学生か言われた一言。
今から25年ほど前。
私がまだ大学院生で、非常勤で通っていた
日本語学校でのこと。
卒業式が近づいたある日、先輩の先生から
数年前の卒業式の思い出話を聞く機会が
ありました。
当時、その先生はまだ駆け出しで、卒業式
の参加も初めてでした。
1年間指導した学生が卒業するということ
で、ワクワクしていたそうです。
そして、式が終わり、教え子達と歓談して
いた時、担当の中国人留学生から、
「先生、早くプロの先生になってください。」
と。
その時、先輩の先生は、
「そうか。私はまだプロの教師と見なされて
いなかったんだ。」
と、その日は涙が出るほど、ひどく落ち込んだ
んだそうです。
確かにまだ駆け出しではあるが、少しでも
楽しい授業になるよう工夫したつもりだった
し、
学習者とできるだけ仲よくなるよう接して
きたつもりだった。
それなりに頑張ってきた自負があった。
それだけにショックだったわけですね。
ですが、ひとしきり落ち込んだ後、冷静に
今までの自分の授業を振り返ってみると、
学習者からの質問に答えきれず、
「それじゃ、これは次の授業までの先生の
宿題ね。」
と言って、そのままにしてしまったことも
1度や2度ではなく、
中には、
「そういう言い方は、日本人はしませんね。」
など、何の裏付けもなく適当なことを言って
その場をごまかしたりといったことも多々
あったと。
「振り返ってみれば、授業を楽しくする
ことばかり考えて、
授業準備で教科書分析や文法・語彙分析、
効果的な指導方法など、あまりやって
こなかった。
専門書などほとんど読んでこなかった。」
そういうことを思い出すにつれ、
「学習者は、その場では口にこそしない
ものの、教師の技量というものを見抜いて
いたんだな。」
と、深く反省したそうです。
25年前といえば、日本と中国の経済格差は
今では信じられないほど圧倒的な差があり、
日本のスーパーで売っているほうれん草一束
の値段が中国の64倍だった時代。
当時中国から来た多くの留学生(当時は就学
生)は、日本に来るために、
自身や家族の貯金をすべて留学資金に充てる
のはもちろんのこと、
親戚縁者に頭を下げ回ってお金をかき集めたり、
代々受け継いできた土地を手放してたりして、
やっとの思いで留学資金を調達したわけで、
それだけに家族や親戚縁者の期待と衆人環視を
一身に背負って日本に留学してきているわけ
です。
おそらく今の日本人の感覚からすると、数千
万円借金して異国に留学するようなもの。
相当な覚悟がなければできるものではありま
せん。
であれば、留学生からすれば「楽しい」とか
「仲良し」だとかいうよりも、
「投資した分を回収して余りあるだけの知識
とスキルを身につけさせてくれ。」
と思うのが心情ではないか。
そう考えた先輩教師は、その時から考えを
改め、
彼らに確かな知識とスキルを身につけさせる
べく、
日本語教育の専門書を貪るように読んで、
専門知識を深めていったのだそうです。
そうすると、確かに初めて知るようなことも
たくさんあったわけですが、一方で
「検定試験の勉強で一度勉強したはずなのに
すっかり忘れている。」
ということも多々あり、
いかに自分が今まで怠けていたかを思い知ら
されたことも多かったと。
それでも、
「今の自分がするべきことはこれしかない。」
と、授業準備に必要な辞書類や専門書はできる
だけ買い揃え、
授業の前日は、考え得る学生からの質問に
しっかり応えられるよう、入念に準備をし、
週末は、人付き合いもほどほどにして、
図書館に通っては専門書をひたすら読んで
勉強するようにしたそうです。
それが功を奏して、翌年以降、卒業式では、
どの学習者からも、
「先生の授業はとてもよかった。おかげで
日本語が上手になった。」
「先生の授業が一番楽しかった。」
と言ってもらえるようになったのだそうです。
改めて、日本語教師という職の任の重さを
感じたと。
「学習者は、その場では口にこそしない
ものの、教師の技量というものを見抜いて
いたんだな。」
学習者は、授業中、教師から目を背けません。
見ていないようで、実は次は何を言うか、
次は何をするか、注意深く観察している
のです。
それだけに、成長を怠る教師を学習者は
決して見過ごすことはありません。
ただ、あからさまに口に出して言わないだけ
なのです。