アヒルの水かき。
私の剣道の先生が子供たちによく
話す言葉に、
「アヒルの水かき」
というのがあります。
アヒルが川の水面を泳いでいる姿は、
実にゆったりと優雅。
ですが、水面下では川に流されないよう
必死になって足で水をかいているわけ
です。
剣道も同じで、
相手と剣を交える時は、相手に自分の動き
や心理を悟られないよう、
上半身はできるだけ無駄な動きをしないで、
目は半眼にしてゆったりと構える。
しかしながら、下半身は相手に的を絞らせ
ないよう、
そして、常に試合の主導権と自分にベストな
間合い、打ち間が取れるよう、
軽快かつ俊敏に動かすことが肝要なのです。
そして、剣道の先生はこの話から発展して、
一見涼しげに、高度な技を難なくこなして
いるように見える相手剣士も、
決して生まれ持った才能や天賦のセンスで
うまくいっているわけではなく、
人の見えないところで、まさにアヒルの
水かきのように必死に稽古をしているから
こそ上達するのだと、
稽古の後に子供たちに話すんですね。
これはもう、日本語教師もまったく同じ。
例えば、
「学習者からとても評判がいい。」
「学習者の日本語もどんどん上達する。」
と聞いて、授業観察してみたら、
一見、何の変哲もない、下手すれば単に
学習者と雑談を楽しんでいるとしか見え
ないような授業だった、
ということがあるかもしれません。
「なんだ、普通じゃん。」
でも、実は、その裏側にはしっかりした
コミュニカティブアプローチの理念が
あって、
学習者のありとあらゆる反応を想定し、
綿密に練り上げられた授業スクリプトが
あったりするわけです。
逆に、それだけ綿密な授業準備をしている
からこそ、
本番の授業では涼しい顔で、落ち着いて、
堂々と、ゆとりをもって臨めるわけです。
もちろん、だからこそ結果も出ると。
問題は、そうした教師の、表に出ない
水面下の努力に思いを馳せることができ
るか、ということ。
「あの先生、いつも学習者と雑談ばかり
して、楽そうに授業やってるから、
私もあんなもんでいいかな。」
と、表面的なところだけ見て、授業準備
を怠れば、後どうなるかは推して知るべし。
逆に、
「あの先生、いつも学習者と雑談ばかり
しているようなんだけど、
どういうわけか学習者はいつも生き生き
していて、どんどん日本語が上手になって
いくし、定期試験でもいい結果を残す。
なんでだろう?」
と思ったならば、その理由をしつこく
聞いて見るといいでしょう。
きっと表面だけでは見えてこない、授業の
ヒントやこだわり、
あるいはその先生の教師としての姿勢を
教えてくれるに違いありません。
そう考えれば、
私たち教師にとって「アヒルの水かき」
である
▼日々の授業準備
▼読書
▼勉強会やセミナー参加
▼新しいことへのチャレンジ
など、
こうした研鑽を積み続けることは、
結果的に
【息長く、ゆったりと、機嫌よく】
日本語教師を続ける秘訣ではないかと
思うのです。
逆に、
▼日々の授業準備
▼読書
▼勉強会やセミナー参加
▼新しいことへのチャレンジ
など、
を怠れば、常に川の流れに身を委ねるだけの、
主体性も現状突破力もない教師人生を送る
ことになるのではないか、
と申し上げる次第です。