学習者が日本語レッスンで買っているもの。
学習者が日本語レッスンで買っているのは、
実は日本語でも日本語能力でもなく、
「日本語を身につけた先にある夢」です。
だから、教師は学習者の夢を共有し、
その実現に向けてソリューションを
提供することが最大のミッションであって、
彼らを日本語オタクにすることが目的では
ありません。
このように言うと、日本語教師の方の中には、
「一生懸命授業をしているのに、日本語教師
には価値がないと言うことなのか!」
「学習者を日本語オタクと揶揄するなんて
何事だ!」
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
それはまったくの思い違いで、
むしろ、この考え方は教師の器を大きくし、
結果的に教師の価値を引き上げることに繋がり
ます。
と同時に、学習者のニーズにしっかり応え、
結果、強い信頼を勝ち取ることに繋がる
非常に重要な考え方なんですね。
ですので、ぜひ最後まで読んでしっかり理解
していただきたいと思います。
で、
> 学習者が日本語レッスンで買っているのは、
> 実は日本語でも日本語能力でもなく、
>
> 「日本語を身につけた先にある夢」。
とはどういうことか。
すなわち、顧客が買っているのは、サービス
そのものではなく、
そのサービスを得た先の夢だ、とはどういう
ことかですが、
分かりやすいのは、車のCMです。
一昔前の車のCMといえば、車のスペックを
強調したCMが主流でした。
例えば、何とかツインターボエンジンを搭載
しているとか、
もの凄いスピードが出るのに燃費がいいとか。
ですが、今は違います。
家族で週末に楽しく買い物に行くとか、
友だちと一緒に海岸沿いをドライブするとか。
そして、その風景の中に車があると。
そういうCMを見て車を買おうという人は、
実は車を買っているのではなく、
家族で週末に楽しく買い物に行くような
ライフスタイルや、
友だちと一緒に海岸沿いをドライブに行く
ような楽しい体験を買うのであって、
それを実現するためのアイテムとして車を
買うわけです。
これは日本語教育も同じ。
学習者は、ただ日本語を勉強しているのでは
なく、例えば、
▼通訳の仕事をバリバリやっている未来の
自分であったり、
▼デザイナーとして日本を中心に活躍する
夢であったり、
▼日本語研究に没頭する大学教授としての
自分であったり
を買うのであって、それを実現するための
アイテムとして日本語が必要だから日本語を
勉強しているのです。
日本語が好きで日本語を勉強しているという
学習者も、よくよく聞いてみると、根っこでは
繋がっていて、
▼外国語を身につける達成感を味わいたかっ
たり、
▼語学学習を通じて知的に豊かな生活を送り
たかったり、
といった欲求を満たすアイテムとして日本語
を勉強しているわけです。
それを、教師が
「この授業のために一生懸命準備したんだか
ら。」
といって、まるで調べ物発表会のような授業
をしたらどうなるか。
学習者からすれば、
「なんであなたの承認欲求につき合わされな
ければならないの。」
のような感じになるでしょう。
これについては、芸術家であり美食家でも
あった北大路魯山人に正鵠を射た指摘が
あります。
彼は、
「料理芝居」
https://bit.ly/3qRDNFd
の冒頭でこのように述べています。
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良寛は「好まぬものが三つある」とて、歌詠みの
歌と書家の書と料理屋の料理とを挙げている。
まったくその通りであって、その通りその通りと、
なんべんでも声を大にしたい。
料理人の料理や、書家の書や、画家の絵というも
のに、大したもののないことは、われわれの日ご
ろ切実に感じているところである。
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(これは私ではなく、あくまでも魯山人が言った
ことですので、誤解なきよう。)
つまり、どういうことかというと、
つまらない料理人ほど、
「どうだ、俺の料理はうまいだろう。」
という下心が料理を介して透けて見えてしまう
ことで、客からすればせっかくの
「好きな人と食事をしながら楽しい時を過ご
したい。」
という空気が台無しになってしまうわけです。
これは日本語の授業も全く同じであって、
よく「授業で教師は黒子に徹すべし。」と言わ
れますが、その所以はここにあるわけです。
このように言うと、日本語教師の方の中には、
「黒子に徹するなんて、私たちの価値はそんな
に低いのか。」
と思われるかもしれませんが、それは全くの
逆です。
学習者の夢や望むライフスタイルというのは
喩えて言えば、ジグソーパズルの絵のような
もの。
ほとんど出来上がっているのに、あと1つ、
「日本語」という名のピースがない。
そこだけぽっかり白くなっていて、どうし
ても完成しないと。
学習者にとっては、どうにも耐えられない
違和感、当惑感、不完全感、欲求不満。
にもかかわらず、自力ではどうしても埋めら
れない最後の1ピースなわけです。
そこに私たち日本語教師がやってきて、
「一緒に最後のピースを埋めましょう。」
となれば、学習者にとってこれほど嬉しい
ことはありません。
そして、最後のピースが埋まれば、学習者の
今までの違和感や欲求不満は解消され、
夢が実現するわけですね。
私たち日本語教師がいなければ、絵は永遠に
完成しなかったわけです。
そう考えれば、日本語教師って、とても
素敵で尊い職業だと思いませんか。
だからこそ、私たち日本語教師は、ただ目の
前の日本語にのみ集中するのではなく、学習
者の
「日本語を身につけた先にある夢」
にまで思いを馳せながら授業をすることが
大切なのです。
このように言うと、特に新人の日本語教師の
方から、
「明日の授業のことで頭がいっぱいなのに、
そこまで思考が回るわけないだろ!」
と言われそうです。
結論から言うと、「それでいいです。」(笑)
続きは、次回に。