化石化教師にならないために(その1)
化石化とは、学習者の誤用が固定化
すること。
実は、この化石化という概念は、
日本語教師にも当てはまります。
つまり、化石化教師とは、
養成時代に得た知識やスキルを、
10年も20年も更新せずに使い続けようと
するあまり、
時代の変化や学習者の感覚にまったく
マッチできなくなってしまった教師の
ことです。
例えば、以下の項目に当てはまると
すれば、
かなり化石化教師度が高いのでは
ないかと思います。
▼授業はとにかく文法中心。
▼授業は完全直接法。
▼授業中は母語使用禁止。
▼授業中のスマホ使用禁止。
▼ホワイトボードより黒板。
そもそも、私たちの仕事は
学習者を日本語のよき使い手に
することであって、
文法学者にすることではありま
せん。
また、今やネット端末は単なる
ツールではなく、
味覚や視覚と同様、「情報覚」
とでも言うべき人間の感覚器官の
一部です。
さらに、このICT時代、
「日本に来て初めて黒板という
ものを見た。」
という学習者だっているわけですね。
20年前とは全く感覚値が違いますし、
この10年でその違いはさらに激変
しているのです。
で、この化石化教師の厄介なところは、
1.本人にその自覚がないこと。
2.自分の考えを正しいと信じて
疑わないこと。そのため頑ななこと。
3.誰しもそうなる可能性があること。
です。
1は、事あるごとに内省することで
最小限にできるかもしれません。
2は、普段目下の教師の意見を否定
して、自分の意見をかぶせる、
いわゆるマウントをかける傾向の
ある人は注意したほうがいいですね。
3は、加齢と大きく関係があると
私は考えています。
それだけに、化石化教師の要素は
私も含め、大なり小なり誰しも
持っているのではないでしょうか。
年を取るにつれて、どうしても変化
することに億劫になりますし、
思考も行動も柔軟性がなくなって
いきます。
従って、こうしたことを防ぐためには、
とにかく「学び」を止めないこと。
むしろ、年を取るにつれて「学び」
を加速させるぐらいがちょうどいい。
もちろん本を読むのでもいいですが、
できれば、セミナーに参加することを
お勧めします。
なぜなら、本は自分の解釈、自分の
テンションで読むことになり、
その本が伝えたい熱量や本気度が
伝わらないことがあるからです。
セミナーに参加すれば、講師の熱量が
ダイレクトに伝わってきますし、
他の参加者の方との交流もまた
大きな刺激になります。
もちろん、知識の歩留まりも格段に
いいです。
そうやって、学び続けることで、
日常的に思考や知識をアップデート
していく、
ということが、化石化教師にならない
ための要諦ではないかと思うのです。
そして、さらに化石化教師にならない
ために重要なこと。
それは、教師としてどこに軸足を置くか
という点にあると、私は考えています。
続きは、次回に。