自分にできることは何か。
ある山村の大地が大きく揺れた。
多くの家が倒壊して、多数の死者が出た。
生き残った村人たちは、ひとところに集まって夜を
明かした。
1週間しても、まだ余震は続いていた。
水と食べ物はあったが、その他の生活物資には事欠く
あり様だった。
幸い生き残っていた村長は、元気な若い衆を使って、
生き残った一人ひとりに今欲しいものを聞いて、なん
とか調達しようとした。
そして、生き残った、村で自慢の美人三姉妹のところ
にも、若い衆がやってきた。
大地が揺れた時、たまたま村を留守にしていた三姉妹は
何とか無事だったが、
村で農作業をしていた父母は土砂に飲まれ、命を落とし
ていた。
悲しみにたえる三姉妹に、若い衆が「今欲しいものは
何か」と聞いた。
長女は「ハリと糸をください。それがあれば、破れた服
を縫い合わせ、ここにいる皆さんが着ている服を繕う
ことができます」と言った。
次女は「調理道具をください。それがあれば、何とか
収穫できる食材を使って、皆さんにおいしい料理を
作ることができます」と言った。
最後になった三女は、はたと困ってしまった。
みんなの役に立てることを何も思いつかなかったからだ。
しかし、しばらくして、三女は「書くものと紙をください。
ここで起きたことを記録します。いつか役に立つことがあ
るかもしれないので」と言った。
それから10年。
長女は街の洋服屋で服を仕立て、次女は宿屋で料理人と
しておいしい料理を提供している。
そして、災害の記憶と復興を克明に記録した三女は村の
学校で教師となり、災害の教訓を生かすための啓蒙活動
をしている。
三姉妹は、父母の思い出を胸に、それぞれ仕事に精を
出していたのである。
◆ ◆ ◆
出典は、今回もこちら。
廣川州伸『仕事に効く人生に役立つ 大人のための
「寓話」50選』
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三女には、長女のような裁縫の才能も、次女のような
料理の才能もありません。
何か才能や特技があれば、すぐに何かの役に立つ行動
を取って、周囲の称賛を得ることもできますが、
「自分には、とりたてて才能も特技もない。」
と思ってしまう人にとっては、こうした状況はなか
なか厳しいものがあります。
私自身、これまで他人の才能や特技を見ては、
「自分にもあんな特技があったらなぁ。」
と羨んだことは、数えきれないほどあります。
みなさんは、いかがですか。
ですが、他人を羨んだところで、何にもなりません。
今の自分にできることを精一杯するしかないのです。
たとえ、それがすぐに成果を出すようなものでなく
ても、
「いつか役に立つかもしれない。」
と、未来を信じて行動し続けることが大切なのです。
行動し続ければ、少しずつでも知識やスキルが
蓄積され、
何かのタイミングで、ドンッ!と花開くときが
来るのです。
三女は、「記録する」ということを選びました。
これは、誰でもできることです。
ですが、この行為が10年後、大きく地域貢献する
元となったのです。
かくいう私も、10年ほど前からメルマガを始め、
e-leaningを始めました。
最初からICTに強かったわけではありません。
最初は、ブラインドタッチもできませんでしたし、
「ブログって、何?お金かかるの?」
というレベルでした。
それでも、目の前の課題を1つ1つ人に聞いたり、
ネットや本で調べたりしながら、クリアしていき、
ようやく今のような状況になっています。
これはもう、ただただ自分にできることを愚直に
やってきただけ。
でも、それでいいのです。
いや、それがいいのです。
自分にできることを、とにかく続けて取り組んで
いけば、いつか必ず花開くのです。
一番よくないのは、
「どうせ自分には無理。」
といって、1mmも動こうとはしないこと。
取り組むのに「遅い」ということはありません。
今日が人生で一番若い日なのです。