自分の斧(=知識・スキル)を研いでいるか。
旅人が山道を歩いていると、斧で木を切って
いる一人の木こりに出会った。
見ると、木こりが使っている斧はとても錆び
ついていて、
何度も何度も打ち下ろさなければ、なかなか
木は切れなかった。
それでも木こりは手を止めず、汗だくになりながら
ずっとその斧で木を切っていた。
見るに見かねた旅人は、その木こりにこう言った。
「その斧、ずいぶん錆びついているじゃないか。
それじゃ、なかなか切れないよ。
一度手を止めて、斧を研いだらどうだ。
そうすれば、もっと楽に速く木を切ることが
できるだろう。」
それを聞いた木こりはこういった。
「何言ってんだ。
俺は今日中にここいら一帯の木を全部切り倒さ
なきゃならないんだ。
斧を研いでる暇なんてねぇ。」
そう言って、また錆びた斧で木を切り始めた。
◆ ◆ ◆
皆さんは、この木こりに対してどう思いますか。
「バカな木こりだなぁ。」
「目の前のことしか見えてないんだなぁ。」
そんなふうに思われたでしょうか。
私もそう思います(^_^)
さっさと手を止めて、一度斧をしっかり研げば、
始めは出遅れても、すぐに取り返すことができま
すよね。
結果的には、旅人が言うように楽にしかも速く
木を伐りきることができるでしょう。
翻って、私たちはどうでしょうか。
十数年も前に養成講座で学んだことを、十年一日
まったく同じスタイル、まったく同じスタンスで
授業をしているとすれば、
それはもう、完全に上の木こりと同じです。
「何言ってんだ。
日本語の授業は完全直接法が鉄板。
授業中に学習者の母語を使うなんてあり得ない。」
「何言ってんだ。
学習は紙と鉛筆を使ってこそ身につくんだ。
授業中のスマホ使用はご法度だ。」
「何言ってんだ。
俺は対面授業で学生集めに忙しいんだ。
オンライン授業などやってる暇はない。」
残念ながら、今の世の中、これまでの路線で
進もうとしても、それは土台無理な相談です。
十数年前とは、もはや学びの前提がまったく
違うのです。
しかも、悲しいのは、錆びた斧を持っている人
ほど、その現実から目を背けようとすること。
どうかすると、自分の斧が錆びていることに
すら気づかず、中には
「私の斧は、金の斧。」
とすら考える強者もいます(本当にいるから怖い)
ですが、そういう教師がこれからどういう末路を
辿るかは、推して知るべし。
であれば、
「もしかしたら、今の自分の知識だけでは
今の時代にそぐわないのではないか。」
と考え、
一旦手を止めてでも、今必要な知識やスキルを
身につけることに専念すべきではないか。
少なくとも、今はそういう時期なのではないか、
と私は思います。
もちろん、そうするには、多少の時間的ロスや
経済的痛みを味わわなければならないかもしれ
ません。
木こりは、だから斧を研ぐことを拒んだわけです
よね。
ですが、そこでしっかり知識やスキルを身につければ
遅れた分もすぐ取り返すことができるはずだと、
この逸話は私たちに教えてくれているのです。