日本語教員養成受講生にミニ模擬授業をさせたら目の色が変わった。
今日は、大学の授業「日本語教育概論」の日。
この授業は、別府大学日本語教員養成課程
の必須科目で、
8名の日本人学生が日本語教師の知識と
スキルを身につけるために受講しています。
ほとんどが20代前半の若造若子ですが、
実は1名、科目等履修という形で年配の
男性も受講しています。
今期はまず「言語一般」領域から学習を
はじめ、
先週あたりから「言語と教育」領域の
学習に入りました。
4月から、かれこれ8回ぐらい授業を
しましたが、
今までは、日本語学的な内容、しかも
座学が多かったので、
受講生は日本語に関する知識は身に
ついてきているものの、
日本語が分からない外国人にどうやって
日本語を教えたらいいのかについては
全く想像できない状況です。
彼らの中には、後期に教壇実習を控えて
いる者もいますが、
そのことを我が事として捉えられている
学生は、ほとんどいない。
そこで、私は授業の内容が「言語と教育」に
入ったことから、
先週の授業で、本学卒業生の教壇実習風景の
動画(『みん日』38課「~のは/のが~」導入)
を見せ、
今日は、『みん日』本冊38課と『教え方の手引き』
の該当箇所それぞれの抜粋コピーを配布し、
私がミニ模範授業をやって見せた後、
8名を1グループ4名の2グループに分け、
グループ内で教師役と学習者役をさせながら、
「はい、それでは、皆さんもまずは『教え方の手引き』
に沿って導入のミニ模擬授業をやってみてください。
教師役以外の人は、学習者役になって、教師の
指示に従って練習してください。」
と指示し、させました。
最初は、どうしたらいいのかわからず
戸惑ったり、はにかんだりしながら、
なんとかやっていましたが、
そのうち、少しずつ落ち着いて手順通りに授業を
進められるようになりました。
(と言っても、全然まだまだですけどね。)
終わった後、受講生からは、
「人前で話すって難しい。」とか、
「言葉を選びながら話すって難しい。」とか
いろいろな意見が出てきましたが、
最初とは違って、明らかに目の色が輝いて
いました。
実際に体験することで、それなりに手ごたえを
感じたんですね。
成長とは、つまりこういうことなんだと思います。
大学の授業というのは、教師の権限で受講生に
有無を言わせず強制的にいろいろなことをさせる
ことができます。
受講生は最初乗る気ではなくても、教師の指示
とあらば、やらないわけにはいきません。
しかし、たとえ最初は乗る気ではなくても、
やればやっただけ必ず意識や知識に変化が
生じ、成長するんですね。
こんな成長が、毎時間、毎日、毎週、毎月
毎年、
そして卒業までの4年間続けば、相当なもの。
そういう意味で、学校というのは成長するには
この上なく恵まれた環境。
一方、社会人になると
「強制的に学ばされる」
ということは、年をとればとるほど少なく
なるのではないかと思います。
また、生活が安定すればするほど、人は得てして
保守的になり、変化を好まなくなる傾向があります。
変化は必ず、失敗や損失、心的圧力といった
リスクを伴うからです。
ですが、リスクを恐れて変化を避ければ、
成長はありません。
成長しないということは、目標を達成すること
ができないということであり、
目標を達成できないということは、自尊心も
自己効力感も満たされず、
生活にハリも出ないということです。
それじゃ、生きている意味がないですよね。
であれば、切り傷、擦り傷程度のリスクであれば
むしろ喜んで背負いながら、
自らを積極的に変化させる(=成長させる)道を
選ぶべきではないか。
と私は思うのですが、いかがでしょうか。
そう思いながら、私は今日も右腕にシップを貼り
ながら、剣道の稽古に行きましたし、
何人集まるかわからないというリスクを背負いながら、
セミナーを企画し、
参加者の方々の喜ぶ顔を思い浮かべながら
明日、東京に出発する。
そんな生活を、ずっと続けています。