検定試験を「試験のための試験」と言って憚らない講師についてい くことの愚。
冒頭の原田様のご感想にもある通り、
また、本メルマガでも再三にわたって
お伝えしている通り、
「検定試験は指導ネタの宝庫」
です。
検定試験で学んだことは、当たり前と言えば
当たり前ですが、
試験に合格して、晴れて教壇に立ってからこそ
役に立つものです。
私は、これは検定試験対策をする講師の間では
当然の理だと思っていました。
しかしながら、私のセミナーを受講なさる、
決して少なくない方々が、
「私が通っている養成講座の先生は
『検定試験は試験のための試験だ。
現場とは違う。』
と言っています。
でも、それは間違いであると篠崎先生の
セミナーを受けて気がつきました。」
とおっしゃるのです。
私は、そうしたお声をいただくたびに、
嬉しい反面、
「検定試験は試験のための試験。」
と言って憚らない講師がいるということに
軽いショックを受けます。
というか、そんな講師についていく意味
あります?
もしそうなら、そもそも検定試験をやる意味など
全くないじゃないですか!
検定試験に限らず、
「試験のための試験」
ほど不毛なものはありません。
なぜなら、
合格のために多大な時間や労力、そして
命の次に大事なお金を費やして知識を得た
としても、
試験が終わったらそれでお役御免だからです。
単なる試験マニアであれば、それでもいい
でしょう。
でも、合格の先にこそ自分の夢や目標や生き
がいが待っているというのであれば、
このような考えは捨てるべきです。
これまで何度も述べてきましたが、
検定試験の問題には、すべて現実の教育現場が
紐づけされています。
一見、現場と関係なさそうな日本語教育史や
日本語史、語用論的規範に象徴される言語
哲学に至るまで、
すべて教育現場や日本語教師のキャリアアップと
密接に関わっています。
もちろん、紐づけされた教育現場をすべて経験
するとは限りません。
ですが、遭遇してから呑気に準備していたのでは
遅い、機を逸する。
だから、現場に立つ前に一通りのことは心得て
おきなさい
ということで、検定試験があるわけです。
そう考えれば、試験勉強に臨む姿勢も自ずと
変わってくるはず。
ただし、留意しておかなければならないことは、
「知ったからといって、それがそのまま「できる」
につながるわけではない。」
ということ。
これは、一度でも教壇に立ったことのある方なら
身に沁みてご理解いただけると思います。
ちょっとしたこと、例えば、文型練習の手順一つ
にしても、実際にやってみると、
▼文字カードの順番を間違えたり、
▼語彙の選び方が間違っていたり、
▼文字カードを繰っている途中で落としたり、
▼キューがスムーズに出せなかったり、
▼学習者とのアイコンタクトができなかったり、
最初はいろいろと手間取るものです。
なので、一人前の日本語教師を目指すのであれば、
「学んだことを、実際にやってみる。」
ということが大切です。
別にそれは実際の授業だけとは限りません。
ご自宅で「エア授業」をしてみるのでもいいの
です。
これができないと、
「検定試験に合格したかもしれないけれど、
現場では使えないよね。」
という批判を受けることになるわけです。
大事なことは、「知行合一」。
知と行を行き来する、
知に触れながら行に思いを馳せる
ということが大切なんですね。
そのうえで、
知識が足りないと思えば、セミナーでも通信講座でも
知識をどんどん仕入れていけばいいし、
実践力が足りないと思えば、ワークショップや
実践セミナーに積極的に参加すればいいわけです。