「わかる」と「できる」は大違い-教師はよき体現者であれ。
今日は、大学でFD研修会がありました。
FD(ファカルティ・ディベロプメント (Faculty Development、
FD))とは(以下、wikiより)、
「大学教員の教育能力を高めるための実践的方法」のことであり、
大学の授業改革のための組織的な取り組み方法を指す。
簡単に言えば、大学教員向けの学内研修会ですね。
今回のテーマは「大学教育改革」
外部から著名な先生(結構なご年配)をお呼びして、
1時間半お話を伺いました。
講師の先生曰く
「大学の授業では、学生から問いを生むような
授業であることが必要ムニャムニャ。」
「一方的な講義ではなく、学生同士のグループ
ワークを取り入れることが重要ムニャムニャ。」
といった内容のすこぶる一方的な講義(苦笑)
しかも、ぼそぼそ口調(聞こえないぞっ!)
じゃあ、そういう講演をやってみてよ!
と言いそうになって、ぐっと飲み込んだわけですが、
それだけに、
「わかっている」ということと「できる」という
ことは、まったく次元の違うものであり、
しかも、当の本人は「わかっている」ことで、
さも自分はできると錯覚してしまうものである
ということを改めて認識した次第。
翻って、
「いつもメルマガで偉そうなことを言っているが、
篠崎、お前はどうなんだ。」
と、我が身を振り返ると、
冷汗が吹き出そうなほど、まったくできていない(>_<)
やはり教師たるもの、有言実行、よき体現者たれと
襟を正しました。
▼「わかる」と「できる」は大違い
▼教師はよき体現者であれ。
普段学習者や周囲に言っていること、
自分の信念としていること、
ちゃんと体現できていますか。