学習者の前で授業準備の大変さを愚痴ったら、負け。
「私は50分の授業のために、毎回2時間も3時間も
準備に時間をかけているのよ。
だから、皆さんもしっかり勉強してください。」
そんなことを学習者に言う教師をたまに見かけます。
おそらく学習者を叱咤激励するために言っているのだ
と思いますが、
私は、口が裂けても絶対そんなことは言いません。
それをいったら教師として負けだと思っているから
です。
負けとはどういうことかというと、学習者に教師
としての知的限界や底を見せるということです。
学習者に
「この先生は、この程度なのか。」
と思わせてしまうということです。
言いたい気持ちはわかりますが、そんなことで
学習者の同情を買ったところで何にもなりません。
そもそも、学習者にとって教師の授業準備に
2時間かかろうが、3時間かかろうが関係ない
こと。
すべては、価値ある授業をしてくれるかどうか。
それだけです。
例えば、ラーメン屋に行ったとします。
ラーメンを食べている横で、店主が
ラーメン作りの苦労話を滔々としたら
どうでしょう。
「やかましい!静かに食わせろ、ボケっ!」
と思うのではないでしょうか。
そればかりか、最悪美味しいラーメンでさえ
不味く感じるかもしれません。
なので、私は、
「このクラスのレベルの日本語なんて、
まだまだ日本語のほんの入り口。
さして準備しなくたっていくらでも
教えられますよ。
なんなら、私と日本語で競ってみますか?」
ぐらいの気構えで学習者に対します。
この姿勢は、私が日本語教師を始めたときから
変わりません。
もちろん駆け出しのころは、授業準備に相当
時間がかかりました。
eラーニング教材開発のときは、5~6年間、
土日祝日休みなし。
大学が閉鎖される盆休みと正月休みだけ
やむなく仕事を中断しました。
ブラックを通り越して、もはや巌窟王(苦笑)
でも、学習者の前では常に涼しい顔。
「教科書の日本語なんて、初歩の初歩。
日本語の世界って、もっともっと
果てしなく奥が深いんですよ。」
そういう姿勢を見せるからこそ、学習者は
知的好奇心がくすぐられ、
「この先生からもっともっといろいろなことを
知りたい。」
となるのです。
学習者の前で授業準備の大変さを愚痴ったら、負け。
そう決めたら、教師としての品格・風格・迫力が
一段上がりますよ(^_^)