基本的な疑問の中に問題の本質がある。(その2)
前回、県大会をご一緒させていただいた
全日本選手権大会にも出場したことのある
七段・上段の先生のお話から、
「基本的な疑問の中に問題の本質がある。」
「基本的な疑問をなおざりにしてはいけない。」
ということを改めて感じたというお話を
いたしました。
実は、私も同じような経験があります。
10年ぐらい前だったでしょうか。
日本語教育の大家の先生と、ご講演後の
懇親会でお話しさせていただきました。
ご講演の中でその先生は何度も、
「学習者に日本語が分かるように」とか、
「日本語が分かっているかどうかを云々」とか、
とにかく「日本語が分かる」というフレーズを
使われていました。
それがとても印象的だった私は、懇親会の折、
酒の力も手伝って、思わずその先生に、
「先生、そもそも『日本語が分かる』というのは
どういうことなんですか。」
と質問してしまいました。
日本語が分かるとはどういうことかなんて、
まだ何も知らない学部生ではあるまいし、
30歳そこそこの大学教員が、
しかも大家の先生に聞くかね、という話。
(しかも、まわりもみな立派な大学教員。)
多分しらふだったらできなかったと思います。
しかし、そう質問された先生は、
「そうなんだよ! そこが誰もわからないんだよ!」
と、激しく同意なさり、そこから先生は
確かいろいろとお話しされたのですが、
残念ながら、酔いが回って今となっては全く
覚えていません(爆)
ただ、その講演の直後の日本語教育学会大会の
その先生が企画されたパネルセッションのテーマが、
「『わかる』とはどういうことか。」
で、
「よほどその先生にフックしたんだな。」
と思うと同時に、
「図らずも本質的な質問をしたんだな。」
と、質問してよかったと思った次第。
もしあの時、
「まだ何も知らない学部生ではあるまいし、
30歳そこそこの大学教員が、しかも大家の
先生に聞くかね。」
と思って、質問することを躊躇ったら、
ここまで発展しなかったはずです。
もちろん、基本的な質問をすれば、相手から
「そんなことも知らないのかね。」
と言われるリスクはある。
ですが、その時は、
「あいすいません。勉強不足なもんで。」
と頭を下げればいいだけのこと。
むしろ、
「基本的な疑問の中に問題の本質がある。
今がその本質を知るチャンスかもしれない。」
そう思って一歩前に出る方がよほどいいと
私はこの経験から学びました。
この姿勢こそ、実は学びの本質なのかもしれません。