検定試験の肝も授業の肝も、然るべき人に聞かなければ永遠に…。
昨日の展示会で私のブースにいらっしゃった方から、
「検定試験の肝を知りたいのですが、
誰に聞いたら、ちゃんと教えてもらえますか。」
といったようなご質問を頂戴しました。
結論から言いますと、
「検定試験の肝、授業の肝たる知識を
ちゃんと持ち合わせており、
その知識が確かにその分野の「肝」
であるという確かな認識があり、
なおかつ、スムーズに聞き手に伝え
られる言葉を持っている人」
に聞くしかありません。
「肝」の知識を持ち合わせていない人
に聞いても埒が明かないのは明らか。
ですが、
「肝」の知識があるということと、その知識が
当該分野の「肝」であるという認識があるか
どうかということは、
実は別問題。
意外かもしれませんが、
知識が豊富でも、その知識が当該分野の「肝」
であるという認識があるとは必ずしも言えない
のです。
なぜなら、
「肝」的知識を「肝」的知識と認識するため
には、
その知識が、なぜ「肝」と言えるのか、
確信を持つに足る明確な判断材料が必要
だからです。
例えば、ある知識が検定試験の「肝」である
という認識を持つためには、
検定試験を熟知する必要があります。
ある知識が授業の「肝」であるという認識を
持つためには、
幅広い豊富な実践経験を積む必要があります。
そうした豊富な経験知があって初めて、
「確かにこの知識はこの分野の『肝』だ。」
と認識することができるのです。
言い換えれば、その知識の価値がわかるか
ということですね。
しかしながら、
「肝」を「肝」と認識できたからといって、
満足のいく説明が得られるわけではありません。
「肝」的知識を、わかりやすく聞き手に
伝える言葉を持っておらず、
どこかの難しい論文の一節を引用した
ような説明をされても、
聞く側は、十中八九ちんぷんかんぷん。
つまり、
説明する側に、その知識がスムーズに
聞き手に伝わる
そんな言葉を持っていなければならない
のです。
しかしながら、このスキルは簡単なようで
結構難しい。
なぜなら、説明する側に想像力がなければ
できないことだからです。
ただ易しい言葉で言えばいいというもの
ではありません。
▼相手は、どれくらいの知識を持っているか。
▼どういう言葉で説明すれば、物事の本質を
正しくイメージしてもらえるか。
▼提供すべき必要十分の情報量は、どれくら
いか。
▼わかりやすく、かつ正確に内容を伝えるには
どうすればいいか。
▼どういう順番で説明すれば、相手の思考パタ
ーンに沿ったものになるか。
▼どの情報を盛り込み、どの情報を省けば、
簡にして要を得た説明になるか。
▼どのような比喩を使えば、聞き手に直感的に
理解してもらえるか。
▼誤解されないようにするためには、どの
ような配慮が必要か。
▼聞き手が今、気になっていることはどんな
ことか。
▼聞き手に、誤った思い込みや誤解がないか。
(このリストを見て、
「お!グライスの協調の原理の応用版!」
と直感なさった方は、かなりセンスいいです(^_^))
などについて想像力を働かせ、
聞き手の脳髄にジャストミートするような
言葉で説明しなければならないのです。
こうしたスキルは、一朝一夕に身につくもの
ではありません。
かくして、
「検定試験の肝、授業の肝を知りたい。」
と思うのであれば、
何をおいても、
「検定試験の肝、授業の肝たる知識を
ちゃんと持ち合わせており、
その知識が確かにその分野の「肝」
であるという確かな認識があり、
なおかつ、スムーズに聞き手に伝え
られる言葉を持っている人」
を見つけ出すことが肝要であり、
それですべてが決まるといっても
過言ではないのです。
そういう「然るべき人」を首尾よく
見つけられれば、
「検定試験の肝、授業の肝を知りたい。」
という欲求は、気持ちいいぐらいに
おもしろいように満たされるし、
「然るべき人」を見つけられなければ、
残念ながら、検定試験の肝も授業の肝も、
永遠に知ることはないのです。