日本語指導の極意は、杉田整骨院が教えてくれた。
私は時々腰が痛くなると、大学近くの杉田整骨院
に行って、マッサージをしてもらいます。
杉田整骨院
http://www.judo-ch.jp/sekkotsuinsrch/44/44202/6700016762/
この春休み中も、ほぼ毎日のように通いました。
ここの院長先生がとても気さくで優しい方で、
国士舘大学の相撲部出身なんですけども、
特に強く指圧するわけでもなく、暖かい指で
適度な力加減の本当に気持ちいいマッサージ
なのです。
で、ここの院長先生の凄いところは、
一通りマッサージが終わって、車に乗って
大学に向かっている最中も
ずっと腰に暖かい指でマッサージを受けている
ような感覚が続いているところです。
もうマッサージは終わっているはずなのに、
あの暖かい指で腰のあたりをジワァっと
押されている感が、医院を出た後も10分
ぐらいずっと続いているのです。
他の整骨院に行ったことがないので、比べようが
ないのですが、他のところもそうなんですかね。
翻って、日本語指導の理想形もそれに近いのでは
ないか、と思います。
例えば、初級の授業で文型を導入したと。
授業が終わっても、学びの高揚感が心地よい
余韻となって続き、
学んだ文型や表現や言葉が、心地よく脳内を
リフレインする。
心地よい余韻とともにリフレインするから、
知識として定着し、
「覚えたての日本語を使ってみたい。」
という動機にもなるわけです。
学習者をここまで持ってくることができれば、
もはや、
「自律的学習者」だの、
「学習者オートノミー」だの言わなくても、
学習者は勝手にどんどん優れた日本語の
使い手へと成長していくわけです。
では、どうしたらこのような
【いつまでもジワァっと続く指圧】
的な日本語指導ができるか。
それは、いくら優れた例文を提示しても、
いくら飽きるほどパターンプラクティスを
しても、
おそらく
【心地よい余韻とともにリフレインする】
境地には至らないでしょう。
なぜなら、どれも
【人から与えられた言葉】
だからです。
誤解されないよう断っておきますが、
私は何も例文提示やパターンプラク
ティスが、
無駄なものとか教育効果が低いとか
言っているのではありません。
それはそれで、指導のステップとしては
必要不可欠なものです。
問題は、指導がそこで終わってしまったら
【心地よい余韻とともにリフレインする】
境地には至らない、ということ。
そこで終わったらあまりにももったいない
のです。
では、学習者の脳内に
【心地よい余韻とともにリフレインする】
言葉のムーブメントを起こさせるには
どうしたらいいか。
それは、活動の最後に必ず、学習した文型や
表現や言葉を使って、
【自分について自分のことばで語らせる】
活動を入れることです。
人は、人から与えられた言葉は、記憶には
あまり残りません。
ですが、学んだことを自分のことばで表現
し直すと、
そのし直した言葉が頭に残ります。
そして、
自分のことを表現する言葉を持つということは
それだけ自分の存在を認識したりアピールしたり
する手段を持つことになり、
ひいては自己肯定感や自己再認識などにも
つながるため、
自分にとってはとても心地がいいのです。
そして、自分を心地よくしてくれる言葉を、
人は脳内で何度も何度もリフレインするのです。
だから、授業で指導項目の導入をやって、
「あ~、やれやれ。」
とばかりに授業を終わらせてしまっては
そうしたチャンスをみすみす逃すことに
繋がり、とってももったいないのです。
授業の最後には必ず、学習した文型や
表現や言葉を使って、
【自分について自分のことばで語らせる】
活動を入れる。
これを徹底すると、学習者がどんどん
成長しますよ(^_^)