検定試験は、先々の問題に予防線を張ってくれる親心のようなもの。
「検定試験の勉強から早く解放されたいです。」
「早く検定試験をクリアして、早く現場に立ちたいです。」
試験勉強に取り組むデビュー前の方から、
時々そういうご意見を頂戴します。
検定試験の勉強をなさっている方にとっては
とても正直な気持ちだと思います。
ですが、これって反抗期の子どもの親に対する
悪態に似てませんか?
「親の説教から早く解放されたいです。」
「親元を離れて、早く独り立ちしたいです。」(笑)
改めて冷静に考えてみると、確かに反抗期の
子どもの悪態ととても構図が似てるんですね。
【先々に待っている問題や困難が見えている
親(=出題者)がする説教、アドバイスに、
先々の見えない子ども(=受験者)ができれば
聞きたくない耳障りの言葉に反抗する。】
ピッタリ。
もし、自分が同じ親の立場だったら
「何でもっと素直に人の話を聞かないのか。
失敗するのが目に見えているのに。」
「今のうちにちょっと苦労しておけば、
後々楽になるのに。」
と思うのではないでしょうか。
ですが、これが我が事となると見えなくなる。
人間だもの。(私もその一人。)
実は、私自身、20年教師生活をして改めて
分かったことですが、検定試験も全く同じです。
検定試験の問題というのは、別に受験者を
ぎゃふんと言わせたり、困らせたり、
進路の行く手を阻むためにあるわけでは
ありません。
どの問題にも、日本語教師歴ウン十年の
ベテラン教師たる出題者の、
経験に裏付けられた深い出題意図がある
のです。
出題される1問1問に
「日本語教師としてこれから現場に立つん
だったら、これぐらい知っておかないと
恥をかくぞ。
場合によっては、取り返しのつかない
信頼失墜にもつながるぞ。」
という強烈なメッセージがあるのです。
私が、よく検定対策セミナーで、
「この問題の背後には、実はこういう教育現場
の状況・問題があって、
この状況・問題が起こってしまうのは、この
問題に問われているような知識や見識が足り
ないからなんです。
だから、出題者はあえてこういう問題を出して、
『今のうちに知っとけ。』
と、問題を通して私たちに訴えているわけですね。
それがこの問題の出題意図なんです。
それが分かれば、この問題の答えの選択肢は
●番しかないですよね。」
といった説明をよくするのは、そのためなんです。
つまり、
【検定試験は、先人の親心の塊。】
なんですね。
で、このレベルまで深堀して説明すると、
受講者の方は、
「あっ!そういうことなのか!」
「なるほど、深いなぁ。」
となるわけです。
それは、私のセミナーのご感想をお読み
いただければ一目瞭然。
http://www.kanjifumi.jp/become/distancelearning/koe011/
(14個目あたりから。)
いずれにしても、検定試験の問題は、
「親のウザい説教。」
「若者の行く手を阻む親の壁。」
のようなものではなく、
【未だ見えない先々の問題・課題に予防線を
張ってくれる親心のようなもの】
と認識すべきもの。
そのうえで、
「この問題の背後には、どのような出題者の
意図が隠れているのだろう。」
と想像しながら取り組むと、今まで他人事の
ようだった問題が、
現場に立った自分に臨場感を感じながら、
深いレベルで問題の意図を理解することが
できるでしょう。