物事は、すべからく楽しんでいる師から学ぶべし。
勉強でもスポーツでも、
何か物事を学ぼうとするので
あれば、
すべからくそれを楽しんでいる
師から学ぶといいでしょう。
なぜなら、何よりその分野の
楽しさを十二分に知っている
からです。
実際、
その分野の楽しさを教わりながら
学ぶのと、
苦しさ、大変さを教わりながら
学ぶのでは、
結果に差が出るのは、当然。
日本語教育に当てはめてみれば、
日本語教育の楽しさを教わり
ながら学んだ教師と、
逆に、苦しさ、大変さを教わり
ながら学んだ教師では、
授業に対する考え方(ビリーフ)も、
「授業はそれ自体楽しいもの」
か、
「授業はそれ自体苦しく大変な
もの」
と、まったく違ったものになる
でしょうし、
その後の日本語教師ライフもまた、
まったく違ったものになるでしょう。
それだけに、
「どの師について学んだか。」
は、その後の日本語教師ライフ全般に
波及する、非常に重要なことなのです。
かの孔子先生も、論語の中で、
---------------------
『子の曰わく、
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。』
【現代語訳】
先生がおっしゃった。
「道を志すことにおいて、ただ知っている
というだけの人は、それを好きな人には
及ばない。
それを好きな人も、それを楽しむ人には
及ばない」
---------------------
とおっしゃっていますが、
物事を学ぶにおいては、
「ただ知っているというだけの師」
「それが好きだというだけの師」
から学ぶべきではなく、
【それを心底楽しんでいる師】
から学ぶべきであり、
それだけに、
【物事の成功は、師選びが9割】
といっても過言ではないのです。