学習者には、若い先生もご年配の先生も必要。
以前、東京でセミナーをした時に、
ご年配の参加者の方懇親会会場への
移動中、お話しさせていただいたこと
がありました。
その方は、私と話しながら、
「自分の子供や孫ぐらいの若い方と
かかわれるのが日本語教育をやっ
ていて、一番楽しい。」
と、目を輝かせていらっしゃいました。
(とっても素敵な笑顔でした^^)
その時に、その方に話しそびれたことが
ありましたので、この場を借りてお話し
しますね。
それは、
「学習者が豊かな日本語力、そしてそれに
止まらず均整の取れた豊かな世界観を
身につけるためには、
若いバリバリ活発な先生だけでなく、
ご年配の先生からの指導も必要不可欠だ。」
ということ。
若いバリバリ活発な先生は、ご年配の先生
にないフレッシュさや俊足な行動力・判断
力があり、それはそれで非常に貴重ですが、
ご年配の先生には、長い人生経験から得た
芳醇な知識や知恵、人生訓、人間観、世界
観があります。
そうした、長い時間をかけなければ得られ
ないものは
学習者にとってとても大事な人生の肥やし
なんですね。
これは、若い先生にはなかなかできません。
ですので、ご年配の先生には、授業の中で
単に日本語を教えるだけでなく、
「そもそも人生って、こういうものなん
だよ。」
とか、
「人生、ここを押さえておけば、まあ
大丈夫。」
と言ったことを、折に触れ学習者に語って
いただきたいと思うわけです。
そうすると、学習者は深いレベルで理解
するだろうから。
時々、ご年配の先生から、
「もう若い人みたいな授業はできないわ。」
と言われることがあるのですが、
そういう時、私は決まって、
「いやいや、ちゃんと若い先生にはでき
ない役割があるんですよ。」
と言っています。
先生はみな、ほかの先生にはできない指導
者としての役割があるのだと思います。