難しい、できない。だから、やるのです。
このところ、剣道の稽古に
入り浸っています。
先週は、水曜日から土曜日
まで、4日連続で稽古をし
ました。
剣道に限らず、どんなスポーツ
や芸事もそうだと思いますが、
技術の習得というのは、そう
簡単なものではありません。
面技1つとっても、ただ相手の
面を打てばいいというものでは
ない。
ただやみくもに打って行っても
相手に上手く返され、
逆に、胴を打たれたり、出小手
を打たれたりするだけです。
だから、相手を攻めて、一歩
前に出たら、
すぐに打たずに、零コンマ何秒
動作を止めて(これを「溜め」と
言います)、
相手の動きを一瞬見て、相手の
動きに応じて、
瞬時に次の動作を判断して動か
なければならないのです。
ですが、これができない。
気が急くと、自分のことばかり
考えて、相手が見えなくなり
ますし、
相手を見すぎてしまうと、動作
が遅れてしまう。
だから、稽古ではいつも上手く
いかないし、なかなかできない
わけですが、
だからこそ、何度も何度も稽古
をして、
少しでも精度を高めようと頑張る
わけです。
これは、日本語教員試験を目指す
場合も同じ。
「合格できるかどうかわからない。」
といって、いつまでも試験勉強しない
人がいますし、
中には、
「難しい。わからないからやめようか。」
という人もいるようですが、
いずれも大きな考え違いで、
そもそもそう簡単に合格できるわけが
ないですし、
勉強もしないのに合格できるかどうか
考えても何の意味もありません。
(単に人生から逃げているだけ。)
そうではなくて、
合格できるかどうかと逡巡するのでは
なく、
【合格できるためにはどうすれば
いいか。】
を真剣に考えるべきであり、
「難しい。わからないからやめる。」
のではなく、
【難しい、わからないから何回も
何回も勉強して克服する。】
と考えるべきなのです。
簡単な資格試験なら、だれでも合格
できますが、
その代わり何の価値もありません。
いくら平たんな道を歩いても、
山の頂上にはたどり着くことは
できません。
ただただ平行移動しているだけ
です。