問題の本質はすべて中間にある。
さて、前回DHMOという物質を紹介しました。
この物質には、以下のような特徴があります。
・この物質に接触したことのある人間の致死率は
100%である。
・殺人犯が犯行の道具として使うこともある。
・悪性腫瘍のなかから検出される。
・ほとんどの金属を腐食する。
・温室効果を引き起こし、酸性雨の主成分で
ある。
・地形の侵食やエルニーニョ現象を引き起こす。
これほど危険なDHMOは法で規制すべきか。
ということで、前回
□規制に賛成
□規制に反対
□保留
でご意見を募りました。
メールをいただいた皆様、ありがとう
ございました。
種明かしをすると、このDHMOという物質、
実は【水】です。
この問題は、1997年にアメリカ在住の当時
14歳の中学生だったネイサン・ゾナーが
作ったもの。
この問いを50人の大人に投げかけた結果、
43人が賛成し、6人が保留、
「これは水だ」と見抜いた人は、たった
1人だったそうです。
ネイサンの狙いは、
「いかに人間はだまされやすいか」
という問題提起だったとのこと。
14歳でそんなことを考えるなんて、
ただただ驚嘆です。
ただ、私がここでお伝えしたいのは、
「物事はすべて量依存。
物事の本質はすべて中間にある。」
ということです。
例えば、この水にしても厚生労働省は
小まめに水を飲むことを推奨しています。
「健康のため水を飲もう」推進運動
https://qr.paps.jp/h8HEK
人間は、1日に2リットルの水を飲むと
よいとされています。
しかしながら、逆に1日3リットル以上
の水分を摂取するか、
短時間に1リットル以上の水を飲んだ場合、
水中毒を起こして死に至ります。
つまり、量によって毒にも薬にもなる
ということなんですね。
このことは、日本語教育にもよくあてはまる
と考えています。
分かりやすいのが指導法。
文型練習もコミュニカティブ活動も
ペーパーテストも、
目的や学習者の状況に合わせて
適度にやればどれも効果的ですが、
どれか1つに特化して
▼ひたすら文型練習だけ
▼ひたすらコミュニカティブ活動だけ
▼ひたすらペーパーテストだけ
のように全振りすれば、うまくいくはず
がありません。
ですが、私も日本語教育業界を、25年
見てきましたが、
「●●の指導法はもう古い。」
「■■の教材は時代遅れ。」
「▼▼が最新の指導法。」
「●●教授法vs■■教授法」
といったレトリックに流されて、業界が
ワーッと全振りする現象を何度も見てき
ました。
「●●と■■はどっちがいいか。」
ではなく、
「●●にも■■にもどっちにも
メリットとデメリットがある。
今の状況では、両者の間のどこに
落としどころを見出すべきか。」
そういう発想が大事なのではないかと
思います。