頭だけで学習者の立場を理解した気になる愚。
冒頭で「変な自己紹介」の例を1つをご紹介
いたしましたが、
実際のサロンでは、計4つのタスクを行いま
した。
とても面白く、盛り上がるタスクなので、
また来年やろうと思います(^_^)
さて、このタスク、実は非常に重要な意味が
あります。
それは、
「疑似的であれ学習者と同じ体験をしなければ
学習者の立場を実感を伴って理解することは
できない。」
ということ。
例えば、先ほどご紹介した語順の変更も、
実際に学習者が日本語を使う時にいつも
気にしていることです。
もちろん、上級レベルになれば無意識にでき
るかもしれませんが、
少なくとも初級では、いつも母語の語順に
思考が引っ張られながら、
それに抗しつつ、日本語の語順に合わせる
ように文を考え、アウトプットしているわけ
ですね。
ですので、そもそもスラスラ日本語が出てく
るわけがありません。
余計なミスだって、当然します。
実際にやってみるとわかりますが、
(というか、やってみないとわからない)
語順を変えて話すというのは、結構なスト
レスです。
ただ、今回のタスクは1人当たりたった3分。
ですので、「楽しかったね」で終わりますが、
特に日本で生活する学習者は、朝起きてから
夜寝るまで、1年365日、ずっとこのスト
レスに晒されているわけです。
この学習者の言葉にできないストレスを
想像できますでしょうか。
そうした学習者の立場や状況を、実感を伴う
肌感覚で理解した上で教壇に立つのと、
ただ専門書や参考書を読んで、頭で理解した
だけで教壇に立つのとでは、文字通り
【雲泥の差】
です。
想像だけでわかった気になるということが、
いかに危ないことかということです。
ここに気がつかなければ、
「あれだけ練習したのに、何でできないん
だろう。」
という考えが、いかに自分よがりな考え方か
ということに気がつかないのです。
できなかったり、ミスしたりするのが現実で
あり、それが普通なんですね。
これを知らずして日本語教師の勉強を進め
ても、
どこまで行っても学習者の感覚とずれたま
まになってしまう。
だから、今回、これから検定試験の勉強を
始めようという方に、このようなタスクを
ご用意させていただいたというわけなんで
すね。
1度でも学習者と同じ体験をすれば、
たとえ授業で学習者がミスをしても、
「そうだよね。間違っちゃうよね。でも、
それはあなただけではありません。
みんな最初はそうなんです。
だから、小さいミスは気にしないで
どんどん話して、どんどん勉強していき
ましょう。
そうすれば、少しずつ上手になっていき
ますよ。」
そんなやさしい言葉が自然に出てくるのでは
ないかと思います。