後悔は、何かを学んだ成長の証。
「あの時、ああしておけばよかった。」
「もっとこうしておけばよかった。」
そんな後悔は、誰しもしたくないもの。
しかしながら、現実は、悲しいかな
後悔の連続。
かくいう私篠崎も、日々、後悔の念に
苛まれながら暮らしております(>_<)
そして、後悔するたびに浅はかな自分に
うんざりすると。
読者の皆さんの中にも、後悔するたびに
▼自信喪失
▼無力感
▼敗北感
▼挫折
▼絶望
を感じられる方もいらっしゃるのかも
しれませんね。
しかしながら、よくよく考えてみると
後悔は、あながち悪いことばかりでは
ありません。
なぜなら、後悔は成長の証だと考えら
れるからです。
というのも、
そもそも、後悔は、今まで気づかなかっ
たことに気づく、
すなわち、思考が成長することによって
起こること。
例えば、何かがうまくいかなかった
として、
「あらかじめ計画を立てて行動すべき
だった。」
と後悔した、としましょう。
その時は、確かにガックリするかも
しれませんが、
よくよく考えてみると、後悔する前
まで、
「あらかじめ計画を立てて行動し
よう。」
なんて、微塵も考えなかったのでは
ないでしょうか。
つまり、そこまで思考が及ばなかった
のです。
それが、うまくいかなかったことに
よって、
「事前計画の重要性」
に気づいた、思考が広がったわけ
です。
つまり、学んだわけですね。
であれば、日本語教師として成長する
ためには、
「後悔は、何かを学んだ成長の証。」
と心得、
学んだことを直ちに身体知化し、
これまでの行動習慣に何がしかの
変更を加えることが重要なのでは
ないかと思います。
結局のところ、成長する教師と
そうでない教師の違いは、
失敗・成功の数などではなく、
失敗や後悔から得た学びの
歩留まり率をいかに高めたか、
そのために、どれだけ頻繁に
行動変容をしたか、
にあるのではないかと思います。