伊沢修二と童謡「蝶々」の知られざる接点とは。
伊沢修二といえば、台湾総督府学務部長として
日清戦争後の台湾で日本語教育を開始した人物。
特に、検定試験では日本語教育史、特に戦中の
日本語教育では超重要人物といえます。
ここから芋づる式に、芝山巌事件とか山口喜一郎
とか、グアンとかサイコロジカルメソッドと出て
くれば、
「受験脳に仕上がってますなぁ。」
といった感じでしょうか。
とはいえ、日本語教育史で伊沢修二といっても
出てくるのはこれぐらい。
でも、これでは歴史の重要人物も記憶薄です
よね。
そこで、今回は伊沢修二を一発で印象付ける
興味深い話をご紹介します。
伊沢修二は、もともと文部官僚であり、音楽
教育、吃音矯正の第一人者なのですが、
実は、皆さんもご存知の童謡「蝶々」のメロディ
を日本に紹介した人物としても知られています。
(あくまでも一説ですが)
この伊沢修二という人物は大変な人物で、
ジョン万次郎から英語を学んだあと、いろいろ
あってアメリカに留学。
マサチューセッツ州ブリッジウォーター師範学校
で学びながら、グラハム・ベルから視話術を、
ルーサー・メーソンから音楽教育を学びました。
さらに、ハーバード大学で理化学を学び、地質研
究、加えて唖教育も研究したといいます。
帰国後、東京師範学校(現筑波大学)の校長
を務めたり、東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)
の校長を務めたりもしました。
童謡「蝶々」のメロディは、もともとドイツの童謡
がその原曲と言われています。
彼は、アメリカ留学中にそのメロディに出会った
そうです。
伊沢は『小学唱歌集』にも携わっており、その中に
「蝶々」も収められています。
いかがでしょう。
インパクトはありましたか。
伊沢修二というと、その写真から
いかついイメージを持たれる方もいらっしゃるかも
しれませんが、
なかなかすてきな一面も持ち合わせた人物なのです。
「検定試験に出てくる人物の名前が覚えにくい。
イメージが湧かない。」
という方。
一度、その人物の経歴をネットで調べてみてはいかが
でしょうか。
参考書には紹介されていない別の一面を垣間見ることで、
しっかり記憶に残るかもしれません。