バブル期の新卒ブランドを捨て敢て茨の道を進んだ男の話(その9)
初めてeラ-ニングに出会った時、世の中にこんな
すごい世界があるのかと驚きました。
日本語学校から大学まで、リアルな授業しかやった
ことがなかった私にとっては、
日本語の授業は最大でも1クラス20人が精一杯
であり、それ以上はとても無理だと思っていました。
ですがeラーニングを使えば、教員1人で50人でも
100人でも相手にできます。
これは極めて画期的なことです。
事実、私は自分で作ったeラーニングコースで
1クラス55人指導した経験があります。
そこから翻って、かつての日本学校時代の私の
授業を振り返り、
どうして日本語教師の給料がなかなか上がらない
のかと考えると、
結局のところ、1クラス20人までという制限がか
かっているからだという考えにいきつきました。
ざっくり考えれば、
1クラス20人の学習者の授業料がそのクラスに
関わる教員の給料を支えているわけであり、
彼らの授業料から、電気代やら場所代やら教材費
やら、通信運搬費やら、海外募集の旅費交通費やら、
理事長の役員報酬やら、(できれば内部留保もして)
その他もろもろを差し引いて、
残った金額が人件費としてあてがわれるわけです。
しかも、たとえ学生数が増えたとしても、1クラス
20人を超えれば、
教室の確保やら、さらなる講師の確保やら、
定員増に比例して、設備投資と人件費がくっついて
くるわけなので、いつまでたっても利益率は上がらず、
結果、どんなに学校が大きくなっても教員の給料は
上がらないのです。
学校運営とは、そういうビジネスモデルなのです。
私たち教師は、そもそもそういう仕組みの中で
働いているということを、まずは自認しなければ
ならないんですね。
だからこそ、私はeラーニングを導入して教員1人
で50人でも100人でも相手に授業ができる環境を
作ることによって、
日本語教師の待遇改善が図れないかと考えたわけ
です。
こういう考え方は、実際にeラーニングに携わって
見て初めて見えてくるもの。
普段の教師生活から、いきなりこのような発想が
生まれるわけがありません。
eラーニングに取り組む以前に、もしも他のICT
専門家から同じようなことを言われても、
きっとピンと来なかったでしょう。
実際に自分が自分の手でデジタルコンテンツを
作ってみて、
その仕組みや可能性がわかり、これが社会に
どのようなインパクトを与えられるのかが
見えてくるようになって、
はじめて出てくる発想なのです。
それぐらい、私たちの思考というのは、
既成概念の檻(おり)に縛られているんですね。
この経験から、私たちは多少のリスクを犯してでも、
その檻から出る知的チャレンジの大切さを学びました。
もちろん、リスクは自分の背負える範囲であること
が条件ですが、背負えるのであれば、積極果敢に
取り組むべきです。
そして、小さな失敗と成功をたくさん積むことが
大事なんですね。
小さい失敗を積んでおけば、後進がどういうところ
でつまづくかがよくわかり、
後進に価値の高いアドバイスができるからです。
かくして、私も3年ほど前からZOOMにチャレンジし、
小さな失敗と成功を積み重ねてきました。
3年前、よもや今ZOOMが世界中で脚光を浴びるとは
想像もしていませんでしたが、
おかげで、対面式の授業やセミナーができないという
状況下でも、何のストレスもなく適応できています。
そういう意味で、まったく無自覚ではありますが、
私の新型コロナウィルスに対する対策は、
3年前から始まっていたとも言えるわけです。