本来楽しいはずの「学び」が、なぜ難行苦行になってしまうのか。
本来楽しくて、刺激的で、充実感に満ちたもの
であるはずの「学び」という営みが、
なぜ「難行苦行」になってしまうのか。
かつての私を振り返ったり、あるいは篠研に寄せ
られるご相談やセミナーに参加なさった方々との
交流から、
その理由がわかってきました。
実はその理由は極めてシンプルかつ明確で、
「楽しくて、刺激的で、充実感に満ちた「学び」
の経験が、難行苦行な学習経験より圧倒的に
少ないから。」
であれば、学習すればするほど難行苦行な学習
経験が増えるわけで、結果、
「勉強って、そもそも大変で苦しくて、辛いもの
だよね。」
となってしまうわけですね。
ただ、もっと恐ろしいのは、そういった経験に
よって、
【難行苦行な学習スタイル】
が自分自身の中に学習フォーマットとして
固定化してしまうということ。
こうなってしまうと、もうその思考回路・行動
パターンから逃れることができず、
日本語教師になった後も、学習者に
「勉強って、そもそも大変で苦しくて、辛いもの
だよね。でも、しないわけにはいかないから
頑張ろうね。」
みたいな、超後ろ向きな指導しかできなくなって
しまうことになるのです。
(そんな勉強なら、身にもつかないし、しんどい
だけだからやめたほうが絶対いい。)
では、どうすればこの負のスパイラル、負の伝播から
抜け出ることができるのか。
実は、これも簡単な話で、
楽しくて、刺激的で、充実感に満ちた「学び」
を実践している人からその極意を学べばいい。
あるいは、そうした肯定的な学びを実践している
人に実際に会って、その人の空気に触れればいい。
だけのこと。
「だけのこと」ではありますが、この「だけのこと」が
人の認識を180度変えるほど非常に重要なのです。
それは、今日ご紹介したY.N様のご感想でも明らか。
にもかかわらず、実は多くの人はそれができないのです。
なぜなら、そもそも人は自分の考えと違う考えを
簡単に受け入れようとはしないからです。
どうして受け入れようとはしないかというと、
人はみな、
「自分の考えは基本的に正しい。」
と思っているからです。
だから、自分の考えと異なる考えは基本的に
信じられないし、それゆえ受け入れられない
のです。
例えば、私が、
「初級の文型導入の授業の準備、やりように
よったら最速10分でできますよ。」
と言っても、多くの人は信じられない。
なぜなら、自分の今までの経験やそれに基づいた
考えに相反するからです。
現状、授業準備に2時間も4時間もかかっていて
何とかしたいと思っている人でさえ、
その解決策を目の前に出されても、今までの経験から
「授業準備に2時間や4時間かかるのは当たり前。」
という考えが先に立ってしまって、解決策に耳を傾け
ようとはしないわけです(あ~、もったいない。)
私は別に篠研のサービスを利用してねと言っている
わけではありません。
疑心暗鬼なら、むしろ買っていただかないほうが
いい。
後で、トラブルになるとこちらも困りますので。
ただ、本来楽しくて、刺激的で、充実感に満ちたもの
であるはずの「学び」という営みが、
どういうわけか「難行苦行」になってしまう理由は、
実はこういうところにあるのです。
まだ長くなりそうなので、続きは次回に。