あなたの脳内を巣食い、成長を妨げる「かばかり思考」。
以前、私の検定対策セミナーでとある参加者と
お話しさせていただいたときのこと。
その方は、たしかすでに私の通信講座も受講
されていらっしゃったのですが、
弊社のサービスを利用するのに、随分迷われた
のだそうです。
「だって、篠崎先生のメルマガ、いつも参加者の
方の感想を載せていらっしゃるけど、
どれもこれも先生をべた褒めしたものばかりで、
逆に『これ、本当?』と思ってしまっていたん
です。
本当にこれほどいいセミナーなら、先生の高額な
受講料を払ってもいいなぁと思っていたけど、
今まで受けた他のセミナーぐらいだったら、
かえって損だなって思って、長い間躊躇して
いたんです。」
なるほど。
確かに、私のセミナーの受講料は高め、いや、
かなり高いです。
断っておきますが、毎回毎回ご紹介する利用者の
方からのお声は、決してやらせではありません。
確かに送っていただいた方には、せっかくですので
3,000円のクーポンをさしあげていますが、
書くか書かないか、どんな内容を書くかは
まったくもってご本人の自由。
ですが、おかげさまですべてを掲載しきれないほど、
毎日たくさんの、そして「べた褒めの」(感謝!)
ご感想を頂戴しています。
気に入らなければ、感想なんて書かなくたって
いいわけです。
にもかかわらず、日々紹介しきれないほどの
ご感想、しかも好意的なご感想をいただいて
おります(感謝!)。
ただ、私としても、命の次に大事なお金を頂戴して
いるわけですから、
「一期一会」という思いで、常に全力でお話し
させていただいている次第。
【本気度】だけは本業界では誰にも負けないつもり
です。
ところで、今回ご紹介させていただいた方との
お話で、私が強く引っかかったのは、
「今まで受けた他のセミナーぐらいだったら、
かえって損だ」
というところ。
そして、これが二の足を踏む原因となって
いるところ。
なるほど、私のセミナーの受講をためらっている
のは、単に値段が高いというわけではなく、
今まで受けた日本語教育関係のセミナーから、
「日本語教育関係のセミナーは、しょせんこれぐらい
のレベルなんだろう。」
という相場観のようなものが脳内にできてしまって
おり、
そのため、そのレベルのセミナーに1日2万円、
2日で4万円も出すのはあまりにももったいないと。
たしかに「そのレベル」レベルのセミナーであれば、
1日2万円も出すのは、ぼったくりですね。
ですが、もし私のセミナーが「そのレベル」レベル
であれば、
毎日毎日あれほどのご感想をご紹介できるはずが
ありません。
だとすれば、原因はまだご参加なさったことのない
方の脳内を巣食う
「日本語教育関係のセミナーは、しょせんこれぐらい
のレベルなんだろう。」
という認識そのものにあるのではないか、と思う
のです。
これこそが、知らず知らずのうちに機会損失を
招いているのではないかと。
この、
「○○は、しょせんこれぐらいのレベルだろう。」
という考え方を、私は「かばかり思考」と呼んで
います。
「かばかり」とは「この程度」とか「これだけ」
という意味の古語。
有名なところで言えば、徒然草第52段。
以下。
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仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石清水を拝ま
ざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、
徒歩(かち)よりまうでけり。
極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
 ̄ ̄ ̄ ̄
さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、
果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、
ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは
見ず」と言ひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
【現代語訳】
仁和寺にいた、ある法師が、年をとるまで石清水八幡宮を
お参りしたことがないことを情けなく思い、ある時思い立ち、
一人、徒歩でお参りにいった。
(山麓の)極楽寺と高良神社をお参りし、(八幡宮へのお参りは)
これだけだと思い込み帰路の途についた。
帰った後、傍輩に向って、「ずっと(心に)思っていたこと(八
幡宮へのお参り)を果たせた。聞いていた以上に尊さ(八幡大神
の御神威)を感じた。ところで、他の参詣者が皆、山へ登って
いったが、何か山上にあるのだろうか。行ってみたいとは思っ
たが、お参りすることが本義であるからと思い、山上までは見に
行かなかった。」と言った。
小さなことにも、案内者(指導者)は欲しいものである。
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「かばかり」と思ったばかりに、山上にある御本殿に
参拝することがなかったわけですね。
あ~もったいない。知らぬは本人ばかりなり。
でも、これは現代に通ずる話。
長くなりそうなので、続きは次回に。