自己成長の成否は「学びは事後的」意識と「自己投資」。
学びのための自己投資、先行投資というのは
本当に大事なことだと日々感じています。
なぜなら、そもそも学びというのは事後的な
ものだから。
つまりどういうことかと言うと、
学ぶ前というのは、これから学ぶことがどれほどの
価値を持っているのか、わかろうはずもなく、
また、学んだ直後というのも、「なるほど!」と
思うことがある反面、
「わかったようなわからないような。
でも、この先生の言うことだから、
おそらく間違ってはいないんだろう。」
ということも、少なくありません。
ですが、それでも学んだことを頭のどこかに置いて
おくと、
実際に現場で活動している何かの時に、
「なるほど!そういうことだったのか!!!
「まさしく以前学んだことそのものだ!!!」
「納得の嵐!!!」
と、烈火のごとくかつての学びが蘇る。
脳髄に高圧電流が駆け巡る。
ここではじめて学びがインテイクされる。
学びとは、すなわちそういうものなんですね。
「学びは事後的」とは、そういう意味です。
その「なるほど!」が学んだ半年後に来るのか
1年後に来るのか、
はたまた、5年後、10年後に来るのか、
わかりません。
ですが、そのいつ来るとも知れない
「なるほど!!!」
のために、今からしっかり自分に対して
先行投資をしておく。
そこに価値を見出せるか否かが、
自己成長の成否を分けるといっても
過言ではありません。
全ては、「周到な準備」で決まるのです。
「準備を怠るものには、
チャンスは決して訪れない。
-パスツール」
逆に、常日頃からしっかり学ぶ仕組みを
生活の中に組み入れ、
時の流れを味方につけながら、しっかり
(というか半自動的に)知識を蓄積していけば、
そう遠くない将来に、
「これ、以前勉強したことがある!」
「この風景、以前勉強したときにイメージしたぞ!」
と、
「学びのデジャブ体験」
「学びの予知体験」
を日々体験することになるわけです。
ここにきてようやく、
「日本語教育が、楽しくて楽しくて仕方がない。」
「だから日本語教師はやめられない。」
という境地に入ることができるわけですね。
かくいう私も、駆け出しのころ、なけなしの
給料から毎月5,000円ずつ書籍代に充て、
専門書を買っては読みあさっていました。
その時の知的蓄積が、今の私を支えています。
あの頃の自己投資がなかったら、間違いなく
今の私はありません。
学びのための自己投資、先行投資、
ちゃんとやっていますか。